まるで宇宙人やUFOをイメージさせるようなデザイン。
これは『スポメニック』。セルビア・クロアチア語で 『記念碑』を意味します。
旧ユーゴスラビア地域には、これらの巨大なスポメニックが各地に点在しています。
メガロフォビアの方が見たらゾッとするかもしれませんね。
スポメニックは、第二次世界大戦で犠牲となった市民への弔い、戦いに勝利した兵士たちへの称賛、共産主義革命によるユーゴスラビア社会主義連邦共和国の独立と民族間の団結を象徴するシンボルとして、カリスマ的指導者であったチトー大統領の命で建設が開始されました。
ソ連のスターリンに『刺客を送るのをやめろ!こっちからも送るぞ!』と手紙を書いたあのチトー大統領ですね。
ユーゴスラビアは汎スラヴ主義を掲げて南スラヴ人国家の成立を目指し、バルカンのスラヴ民族を集めて作られた国家であり、その多様性から『七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家』と形容されました。しかしながら、国家の成立当時から、主導権を巡り民族間の対立が続いていました。

スポメニックは多民族を抱えるユーゴスラビアをまとめあげるための、共産党政府のプロパガンダでもありました。
大統領直々の指示のもと展開された一大国家プロジェクト。都市部から地方の村や森の中まで、ユーゴスラビア全土に何万ものスポメニックが建設されたといいます。
しかし、ユーゴスラビアの団結は簡単に実現するものではありませんでした。
第二次世界大戦時の民族間の蛮行、暴露された共産党政府の非道の数々、台頭するナショナリズム。チトー大統領の死後、民族感情を煽り自らの権力として利用する政治家までも現れます。
抑え込まれていたひずみが爆発し、1991年にはユーゴスラビアの崩壊、紛争へと発展します。
団結の象徴であったスポメニックは、紛争や混乱の中でその多くが放棄・破壊されました。

破壊されたスポメニック
今回は残されているものからいくつかをご紹介します。
コスマジ パルチザン分遣隊記念碑(セルビア:コスマジ)

セルビアの首都ベオグラードから南に60km、コスマジ山に建てられています。霧の中に現れる刺々しいスポメニックは、まるで宇宙船のような、レトロフューチャーを感じさるデザインです。
モスラヴィナ人民革命の記念碑(クロアチア:モスラヴィナ)

スポメニックの代名詞ともいえる作品の一つ。
高さ10メートル、幅20メートルにもなる巨大なスポメニック。モスラヴィナがレジスタンスの拠点の中心となったことを記念して建てられました。自由と勝利を表す翼がモチーフとなっています。クロアチアの首都ザグレブから東に90キロ、ポドガリックという小さな村の湖畔の近くに建てられています。
ユーゴスラビア時代には、ポストカードや切手、旅行雑誌に頻繁に登場するなど、人気を博していましたが、ユーゴスラビア解体とともに忘れられていきました。
バニアとコルドゥンの人々の蜂起の記念碑(クロアチア:コルドゥン)

セルビア人・クロアチア人からなる枢軸国に対するレジスタンスの拠点となった場所。解放戦線の犠牲者の弔いとして建てられました。
ユーゴスラビア紛争を経てクロアチアが独立すると、モニュメントは管理されることなく放置されました。外壁のステンレスは盗まれて骨組みが見えてしまっており、モニュメントの上には携帯の電波塔がとりつけられ、大切にはされていない様子です。
石の花(クロアチア:ヤセノヴァツ)

セルビア人の建築家により、「民族間の和解、融和、憎しみの終焉」をテーマにデザインされました。
ヤセノヴァツ収容所は『バルカンのアウシュビッツ』と呼ばれるほど過酷な収容所でした。ナチスの傀儡となったクロアチアの過激派組織により建設され、ユダヤ人のほか、セルビア人への迫害を行っていました。
しかし、このモニュメントをデザインしたセルビア人の建築家は、強制収容所での虐殺行為を直接表現することで、セルビア人とクロアチア人の禍根が再燃することを懸念し、あえて抽象的に、生命と再生、悟りの意味を込めた蓮の花をデザインしました。
そんな願いもむなしく、同胞のセルビア人からは『裏切者』などと誹謗された上、後に起こるユーゴスラビア紛争では、クロアチア軍によってモニュメントに隣接した収容所資料館が破壊されてしまいます。モニュメントのテーマであった「民族間の和解、融和、憎しみの終焉」は実現せず、現在も禍根を残す形となっています。
2010年以降、スポメニックのデザイン性が世界から注目を受け始めると、映画やアート作品にオマージュとして登場するようになりました。映画『最後にして最初の人類』や、ハリウッド版『攻殻機動隊』のコンセプトアートなど、多くの芸術作品に登場します。


北マケドニアのスポメニック『インデリン』とその内部
共産主義時代のデザインは奇抜なものが多いですが、どことなく懐かしさを感じます。
スポメニックの外観を見るだけでも面白いですが、それぞれにユーゴスラビアが込めた想いと、それが成就することのなかった現実があり、知れば知るほど考えさせられます。
共産圏の歴史に興味がある方は、スポメニックめぐりをしにバルカン諸国を周遊してみてはいかがでしょうか?
