ボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サライェヴォの街を歩くと、街の一角に赤い花のような模様を見つけることがあります。
それは『サライェヴォのバラ』と呼ばれる戦争の記憶です。
90年代に発生したユーゴスラビア紛争の際、サライェヴォの街は包囲され、市街地に無数の砲弾が撃ち込まれました。砲弾が着弾した際にできたコンクリートの傷跡へ赤い樹脂を流し込み、犠牲者を追悼するために残されたものが『サライェヴォのバラ』です。現在も市内各所に残されており、市民が命を落とした場所を示しています。
一方で、サライェヴォには戦争の悲劇だけでなく、戦いに巻き込まれた人々が生き抜こうとした希望の象徴も残されています。
市街地から少し離れた場所にあるサライェヴォ・トンネル博物館は、包囲された街を支えた「希望のトンネル」を保存・展示する施設です。
4年間続いたサライェヴォ包囲戦の間、サライェヴォは外部との連絡を断たれていました。
包囲された市街は、砲撃や狙撃により、人や物資の往来は困難を極めました。そこで建設されたのが、空港の地下を通る秘密のトンネルです。見つからないように、民家がトンネルの入り口になっていました。

トンネルが作られた民家。外壁には銃弾の跡が生々しく残ります。
このトンネルを通じて食料や医薬品が運び込まれ、人々は外の世界とつながることができました。長さ約800メートルの狭い通路は、サライェヴォ市民にとって命綱そのものでした。
現在、トンネル博物館では当時の映像や写真、生活用品などが展示されており、戦争が人々の日常にどのような影響を与えたのかを知ることができます。また、保存されたトンネルの一部を実際に歩くことで、包囲下の厳しい状況をより身近に感じることでしょう。
サライェヴォの街には、至る所に、白い墓標が立ち並ぶ墓地があります。
紛争時、増え続ける犠牲者を埋葬する場所が足りず、丘や公園、紛争の始まる数年前に開かれたオリンピックのスタジアムまでもが墓地として使われました。
すでに復興は進み、人々は普通の生活を営んでいますが、平和は決して当たり前のものではないことを街全体が物語っています。


