バルカン半島のアルバニアには、全国各地に無数のコンクリート製バンカーが残されています。海岸、山間部、農村、都市の片隅まで姿を見せるこの独特な風景は、冷戦時代に作られた「国土全体を防衛施設にする」という異例の政策の名残です。

この計画を推進したのが、第二次世界大戦後にアルバニアを率いた指導者エンヴェル・ホッジャでした。
第二次世界大戦時、アルバニアは枢軸国に侵略されますが、パルチザンにより全土解放され社会主義政権が誕生します。
当時は隣国のユーゴスラビアとの親交がありましたが、ユーゴの影響が強くなると、自国もユーゴに編入されることを警戒するようになります。そしてユーゴがソ連と決別し独自路線をいくと、ついに国交を断絶しました。
しかし、その後ソ連のフルシチョフによる『スターリン批判』を受け、ソ連とも断交。アルバニアはワルシャワ条約機構から離脱します。その後は中国に接近するも、中国が西側諸国との国交を持ち始めると、これも批判し断交。
「アルバニアは世界で唯一マルクス・レーニン主義国家である」と宣言し、西側諸国はもちろん、共産圏からも孤立。鎖国のような状態となっていきます。
ーえ!!国中にバンカーを!?ー
世界から孤立していく中で、ホッジャ政権は他国による侵攻を強く警戒し、全国を防衛拠点化するためバンカーを大量に建設する計画を立てます。
1970年代から1980年代にかけて建設は本格化し、1983年までに計画された約22万基のうち、17万基ものバンカーが建設されたとされています。
(ある説では75万基を目指していたという説も・・・一家に一台。)

いたるところに建設されたバンカーは、小型のコンクリート製トーチカから大型核シェルターまでさまざまでした。兵士が内部に入り敵を迎撃する小型トーチカは全国に配置され、一方で政府高官や軍幹部のためには、核攻撃にも耐えられる巨大地下施設も建設されました。

幸いなことに、これらのバンカーが実際に戦闘で使用されることはありませんでした。莫大な費用と労力をかけて作られた施設は、冷戦終結後に役割を失います。
国民たちは、不要になったバンカーを牛舎や倉庫、カフェ、宿泊施設などに再利用しはじめました。そして現在、バンカーはアルバニアの『観光資源』へと変貌を遂げます。

アルバニアのバンカー遺産を象徴する場所が、首都ティラナにある『Bunk'Art(バンクアート)』です。
Bunk'Art 1は、ホッジャ政権時代に建設された巨大な地下核シェルターを利用した博物館で、地下深くに続く長い通路、会議室、執務室などが当時の姿を残しています。
この施設は、単なる軍事博物館ではありません。展示では、共産主義時代の政治体制、軍事政策、国民生活、そして秘密警察による監視体制など、アルバニアの近現代史を紹介しています。
また、ティラナ中心部にあるBunk'Art 2も、かつて政府関係者を守るために作られた地下施設を利用した博物館です。ここでは共産主義時代の弾圧や秘密警察の歴史に焦点を当てています。
地下に広がる無機質なコンクリート空間を歩きながら、かつて国全体が外部からの攻撃に備えていた時代を感じることができます。
アルバニアを訪れたら、ぜひ街中や海岸、山間部に残るバンカーにも注目してみてください。何気ない風景の中に、アルバニアならではの歴史を感じられるはずです。


